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特別寄稿 「五木寛之『親鸞』の面白さ」中江有里

「親鸞」の名を聞いて、まず頭に浮かんだことは「えーっと……仏教の僧侶よ、ね?」(恥ずかしながら仏教の宗派もかなり曖昧)。そんな無知なわたしが五木寛之さんの『親鸞』について書評を書くことになるとは、編集者の英断か迷走か? 真意はわかりませんが、読み終えて一言いわせていただきますと、

「うわ、これはめちゃ面白い小説でしょう!」

ごく簡単に説明いたしますと、親鸞は浄土真宗の開祖。法然上人の教えを受け継ぎ、「悪人正機」、「絶対他力」を唱え、広く知られる鎌倉初期の僧です。

五木版『親鸞』では、親鸞がまだ忠範と名乗っていた八歳の頃から描かれます。この忠範少年の人物造型が本作のポイントといえます。

朝廷の下級官人であった父日野有範は、ある日家を出て、そのまま仏門に入ってしまいます。夫に去られた母は、まもなく流行病で亡くなります。こうして忠範を筆頭に五人の兄弟が残されました。

偉人の子ども時代というと、不幸や難題が大きく描かれる場合がありますが、本書で瞠目するのは、幼くして両親を失うという不遇な身の上話ではなく、忠範誕生のずっと前から、この聡い少年が後の「親鸞」となるべくあった宿命について、です。

弟二人とともに親戚の家に引き取られた忠範は、気を使いながら囲われている身に屈しています。そんなある日、長年伯父の家に仕える召使いの犬丸から、日野家には「放埒の血」が流れていると知らされました。

忠範は「放埒」という言葉を聞き、身が軽くなったように感じます。忠範はこの「放埒の血」が自らの生きる証しでもあると悟り、血という宿命からは逃れられない、逃げ場がないのなら、思いきって「放埒の人」として囲っている柵を越えて生きようと決意します。「親鸞」という人物の成り立ちは、「ここではないどこかへ」と行こうとする少年の冒険成長小説としての面をもっています。

そんな忠範の周囲には、彼に惹きつけられるように、怪しげな悪人たちが集まりだし、彼らと忠範の間に友情が生まれます。

中でも印象的なのはツブテの弥七。忠範が修行のためお山へと入る際、犬丸に灰色の小石を託し、忠範へと言づけます。それはこんな内容です。

「驕り高ぶった気持ちになったならば、この小石を見て自分はこのツブテのごとき者たちのひとりであることを思いだせ。独りぼっちだと感じた時は、この小石のように多くの仲間がいることを考えること。そして本当に困った時は、このツブテを名もなき者たちに見せて、『弥七の友達だ』といえばいい」と。

ここでわたしは目がうるんで先が読めず、いったん本を閉じました。

弥七は本書のあらゆる場面で登場し、親鸞の成長を見守り、支えます。

続きはIN★POCKET3月号をご覧ください。

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