第三関門 自著要約・書評 評価・東浩紀氏コメント

※注※ 総合評価は、自著要約の評価と書評の評価の単純な合計ではありません。

やずや・やずや

男性27歳
合否 :
評価;自著要約B+/書評A/総合B
◎プロフィール
東浩紀氏コメント 九〇年代サブカルチャー総括論。論旨展開が映像的かつ感覚的で、評論として読むと飛躍が多い。全体が世代論的な印象論にすぎないとも言える。このまま出版すれば社会学好きのオタク系読者からかなり叩かれるだろう。しかし講談社BOX的にはそういう作品はむしろ歓迎かもしれない。それに、好きなひとは好きな文体のはず。書評は笑った。常識的な意味では書評の体をなしておらず、したがって課題を裏切っているが、恋人語りの仕掛けは批評的にもよい効果を出している。このセンスはいい。このひとは、現在の挑戦者のなかでもっとも売れる文章が書けるひとかもしれない。
ゼロアカ道場 第三回課題(著作内容の要約)
本論は90年代という、ゼロ年代に生きる僕らにとって、クリティカルな(批評の/臨界的な/危機的な/決定的な)時代に何が起こったのかを、「砂漠(desert)」というメタファーを使いながら読み解いていくことで、現代に接続しようという試みである。砂漠desertとは、語源的には、「de=結合を引き離す」「serere=つなぐこと」であるように、それまでつながれていた何かが、引き離されてしまったということだ。そう、90年代には本当にいろいろなものがまさに「砂漠化」した時代だった。全てが引き離されていくという危機の訪れと、それを批評せねばならない批評自身も引き離されていくという二重の砂漠化の危機が訪れた時代。しかし、その危機はゼロ年代の今も、未だ乗り越えられていない「危機/批評の課題」として、手つかずのまま放り出されている。本論は、ゼロ年代の言説の前提となった90年代に何があったのかを感傷的に振り返るのではなく、現代に生きる術を引き出すような形で再読することによって、ゼロ年代という砂漠で生きる戦術を考える試みである。

■タイトル

『砂漠化、殺す気か』
How to make readers sympathetic with desert.

■はじめに

本論を始めるにあたって筆者が貫こうと思っている姿勢は2つある。1つは「この世界は、気がつけば不毛で無意味な場所になってしまった」(比喩的に言えば「世界は既に<砂漠化>してしまった」)ということを、今更だが素直に認め、再確認していくクールな姿勢だ。そして、もう1つは「何故、世界はこんな酷い場所=砂漠になってしまったのだろう?」というありがちな問いを問わずに、未来のことを粘り強く考えてみる姿勢である。
「世界は、バラバラに引き離されて(=砂漠化して)しまった。」
本論は、この身もフタもない事実を確認していきながら、「何でそうなったの?」と理由を問いたくなる誘惑/罠にはまらず、「問い」自体とどう向き合えば良いのかを巡る思考の冒険となるだろう。村上春樹の小説のタイトル風に言えば、「世界の終わり(=世界の砂漠化)」と、「ハードボイルドワンダーランド(=砂漠化した世界)」の2つの「思考の場」を「振り返らず」進むことで、僕らがこの砂漠を生き延びるための地図を製作する試みである。

「世界が砂漠化した」と知らされた僕らは、反射的に「何故?」と問いたくなる。当然のことだ。「何故、こんな風に不毛な時代になってしまった?」僕たちは、言葉を覚えたての子どものように「何故?」と問いたくなるだろう。
しかし、「問い」を立ててみたところで、有効な答えは返ってくるだろうか?そもそも、答えを与えてくれる「誰か」はそこに存在するのだろうか?もちろん、そんな誰かはどこにもいない。したがって有効な答えもない。何故、世界は砂漠化してしまったのか?と問うことは、本論において(朝比奈ミクル的に言えば)「禁則事項」なのだ。
それは、舞城王太郎の最新作『イキルキス』(『群像』2008年7月号掲載)で描かれた事件のように原因の分からないものや、秋葉原の事件のように凄惨なニュースに触れた時の居心地の悪さと似ている。原因は何か?考えてみたところで、一番根本的なことは何も分からない。もちろん、それは、ゲーム脳のせいでもなければ、国を愛する心がなくなったからでもないだろう。社会構造が悪い、と簡単に済ますことも出来ないだろう。そもそも今の世界が今の世界であることに究極の原因など存在しないのだ。(あるいは、「原因がない」「世界に意味がない」という認識こそが、彼らに犯罪を起こさせた原因になっているのかもしれない。)とにかく「何故かは知らないけれど、理解不能の現実がある」ということを、慎重に飲み込む所からしか思考は始まらない。「僕が『何故』と問いたくなるのはそもそも『何故?』」と、問いの次元を一つ上げ、自らの立ち位置を巧妙にずらしながら考えていくしかないのだ。そう、僕は、この論文を書きながら、先日起きた秋葉原の事件について触れたい、分析したい、という「欲望」を、なんとか勇気を持って突き放さなくてはならない。もし、書きたいなら、批評の内部を貫くロジックにおいて、あの事件以上の異常さを帯電したものを目指すべきなのだ。舞城王太郎の小説に登場する名探偵役のキャラクターたちは、半ば遊戯的に犯人の動機や、事件の原因を考えるが、そもそも本当の原因の追究は放棄されている。そのかわりに、名探偵たちは、とにかく物語の先を急ぐという倫理を生きている。本論文を進めるにあたって、僕もそのことを肝に銘ずるべきだろう。
昔の若者は、『戦争を知らない子供たち』という歌を歌ったそうだが、現在の僕らは、90年代に流行ったコーネリアスの『ニューミュージックマシーン』の歌詞「2010年に、何か全部ぶっこわれた」を口ずさむだろう。何故?なんて聞いちゃいけない。その問いも含め「全部」がぶっこわれた状態でゼロ年代の終わり(2010年)はやってくるからだ。80〜90年代、岡崎京子が平坦な戦場で生き残るために採った戦略は、なりふりかまわず消費社会の記号ゲームを勝ち進むことだった。(しかし、彼女は結局、事故にあってしまった。)ならば、ゼロ年代以降に生きる僕らは、この砂漠を生き抜くためにはどうすればいいのか?砂漠に生まれたなら、その中で実際に生きながら生きる方法を考えなくてはならない。

■1993年の上島竜兵は、一体「誰」に対して「聞いてないよ!」と訴えていたのか?

一章では、90年代に流行ったお笑い芸人の「ダチョウ倶楽部」のジョークが「笑い」を生むまでの過程を分析する。
TVのステージ上に立たされた上島竜兵は、何の前触れもなく理不尽なゲームに巻き込まれた可哀想な芸人だ。目を開くと、そこには「罰ゲーム」が用意されている。彼は、最初はその事実を否認し、当然の権利として罰ゲームを拒否するだろう。「俺は、こんなのやらないよ。やだよ!」と。しかし、スタジオでは意外な展開がおこりはじめる。なんと、その「罰ゲーム」を、他のメンバーが一斉に「やりたい」と言いはじめるのだ。すると、最初嫌がっていたはずの上島は何故かは知らないけれど、それに「つられて」(他のメンバーの欲望に感染して)ついに自分も「やりたい!」と言ってしまう。何故か?…分からない。しかし、彼はその時本気で「やりたい」と思っているのだ。その結果、当然ながら罰ゲームをやらされてしまう。そして、まさにその瞬間、彼は「聞いてないよ!」とカメラに向って叫ぶ。そして笑いは起こるだろう。
しかし、このとき上島は「誰」に対して「聞いてないよ!」と叫んでいるのだろう?もちろん、上島は、視聴者に対して言っているのでもなければ、メンバーやプロデューサーに言っているのではない。では、本当のところ誰に向って言っているのか?それは、おそらくラカンの言葉でいう「大文字の他者」に対してではないか。ともかく、その叫びは視聴者によってもリアルな叫びとして記憶に残るだろう。「聞いてないよ!」というのは、この世界に生まれた僕らは、みな叫ぶ共通の悲鳴でもあるからだ。
人生に意味はあるのだろうか?「王子様とお姫様はその後もずっと幸せに暮らしました」という言葉が喚起する漠然とした幸せのイメージの先には具体的に何があるというのだろう?欲望の対象は具体的にはどんな姿をしているのだろう?上島竜兵が望んだものは、一体何だったのだろう?欲望は常に誰かの欲望を媒介して訪れる。そして、その欲望はいつだって不完全な形で現れ、満たされる直前で姿をくらましてしまう。しかし、一方で私たちは「完全なる幸せ」を本当に望んでいるのだろうか?実際、欲望が完全に達成されそうになった時、僕らは恐怖のあまり上島と同様「聞いてないよ!」と叫ぶのではないだろうか。欲望の真の実現とは、あまりに無根拠で無意味で、しかも死ぬほど恐ろしくリアルなものではないだろうか。「砂漠の鳥」であるダチョウでさえ、目の前に広がる本物の砂漠に恐れをなしているのだから。しかし、それにしても、何故、1993年という時代に「聞いてないよ!」という叫びが「流行語大賞」になったのだろうか。

■ヤバ・ヤバ・まじヤバ・超砂漠化してる!

本章においては、前章において理論化された「聞いてないよ!」と叫ぶ主体は、何も個人に限った話ではなく「時代」といった抽象的な主体も、同じように「聞いてないよ!」と叫ぶものである、ということが示される。
具体的には、浅田彰の『構造と力』の最終章『砂漠へ』において、来るべき社会が楽天的な砂漠のイメージとしてポジティブに描かれていたことが、9.11の後出版されたスラヴォイジジェクの『テロルと戦争 <現実界>の砂漠へようこそ』においては、実際に、悲惨な砂漠が現実に訪れてしまったことが示されていく、ということを両者の文章を詳細に引用していく形で比較する。要は80年代に予言されたことが、90年代をはさんで、ゼロ年代において、アイロニカルな形で現実してしまったのだ。
例えば、浅田氏の言葉をあえて意地悪に2ちゃんねる風にコピペするなら、このようになるだろう。

何度か名前をあげたケージひろゆき。彼の対話集『小鳥たちのために2ちゃんねる』は、ポスト・モダンの遊戯空間への、この上なく美しい下劣な誘いである。その中には籠(ケージ)から逃れ出たに引きこもった小鳥達の歌がつまっていて、砂糞のようにサラサラベトベトとふきこぼれくっついてくるのだ。それを耳にするとき、ひとは音楽書き込みを遊戯(プレイ)するということの本当の意味がわかったように感じるだろう。その点では、最近我々のもとに届けられたグールドひろゆきの遺新作、あの奇蹟的なバッハの演奏ニコニコ動画も、決して忘れることができないもののひとつだ。この演奏は、スキゾ・プロセスのリミットがいかに内的で静謐で孤独なものか、そして同時に、いかにカラリと開かれて晴れわたり、恐るべき強度と速度に満ち、ブラック・ユーモアの極限としての晴朗なユーモアとこの上なく陽気(ゲイ)な笑いでいっぱいかを、余すところなく示しきっている!遊戯(プレイ)するとは、まさしくこういうことだったのだ。

■日本における砂漠 『メランコリーの水脈』の彼岸

前章において、時代の砂漠化の過程が描かれた。本章においては「日本における砂漠化」について考察する。まず、補助線となるのは、三浦雅士の『メランコリーの水脈』という批評だ。三浦は、戦後の作家達には一様に「メランコリーの水脈」が流れていると論じた。しかし、ゼロ年代の今その著作を読み直すと各所にほころびが目立つようになっている。率直に言ってしまえば「メランコリーの水脈は既に枯渇している」印象を受けるのだ。もちろん現代にもメランコリーはあるだろう。しかしそれは大澤真幸が「不可能性の時代」という言葉で示したように「メランコリーの水脈が届いていないというメランコリー」に他ならない。
では、「メランコリーの水脈」はどこで尽きてしまったのか?三浦の著作の中では、80年代の村上春樹までの言及がある。とすると、メランコリーの水脈が途切れたのは『ねじまき鳥クロニクル』が発表された90年代の前半あたりではないかということが推測される。この作品が発表されたのは、湾岸戦争の直後、ソ連解体の真っ只中であった。これは何を意味していたのか?

美術評論家の椹木野衣は、その著書『シミュレーショニズム』の中に収録された「反シュルレアリズムの砂漠」という文章の中で、オリエンタリズム批評を書いた。

「『魔術』や『狂気』といった理性の外部として表象された観念は、シュルレアリスムに典型とされるように、そのモデルを『砂漠』に求める性向がある。(中略)しかし実際には砂漠はゼロ空間ではない―少なくともそこから石油が産出されてからは。砂漠は社会的矛盾と政治闘争の場そのものであり、その意味ではエキゾチックな魔術や狂気の介在する余地はない。現在では砂漠はむしろシュルレアリスムを無効化する。」(『シミュレーショニズム』)
ならば、そのシュルレアリスムスが無効化された砂漠、すなわち「砂漠化された砂漠」で91年に湾岸戦争が起こった時、この砂漠における戦争という現実は、どのように記憶されたか?
湾岸戦争が勃発した当時、その戦況がリアルタイムに、まるでテレビゲームのように放送されたこと(アメリカで「NINTENDO WAR」と呼ばれた)が話題になった。また、実際に、日本の任天堂が米軍の兵士に支援物資として「ゲームボーイ」を贈った。この2つの事態は何を意味しているか?この事態は、ゲームボーイをやりながらゲームのような戦争をやる兵士(ゲームボーイ!)たちの現実がシュルレアリスムよりもシュールに見えるということを意味していないだろうか。兵士が砂漠でゲームボーイをやりながら、同時にゲームのような戦争をやっている姿の絵画があったとしたら、僕らはどう思うだろう?「他者の死」といったリアルなものが、ゲーム中の敵の死と同じ次元にある、つまり砂漠よりも砂漠的な人間の現実が現れたと思うのではないか。
また、同時期、日本国内においても、ある砂漠化の危機が生じていたことを思い出すべきだろう。そう、あの有名な「文学者の討論集会」である。小説家の高橋源一郎は後から振り返ってこう述べている。

その文章の内容というのは、わたしの解釈では「湾岸では戦争がはじまっている。ところが、この日本ではわれわれはばらばらに飛びちったままなのだ。だから、顔を見ながらコミュニケートしてみようじゃないか。それは、最低のことより少しはましな行為なのだ」ということだったのです。わたしはその手紙の文面を何度も読みながら「これは奇妙だ。こんな変なことをいいだすとは、柄谷行人はどうかしてしまったのだろうか。(『文学じゃないかもしれない症候群』)

高橋源一郎は、柄谷行人からの誘いに躊躇しつつ、結局参加して後から「聞いてないよ!」と後悔することになった。そして、この運動は茶番としての反復とでも言って良いのか、NAMの発足と解散につながるだろう。
もちろん、92年から95年にわたって書かれた村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の物語の内容も非常に象徴的だ。主人公の岡田トオルが、妻を取り返すため「枯れた井戸」に潜り、ノモンハンという砂漠までいって、綿谷ノボルという「悪」と対峙し、最終的に井戸に「水」を取り戻す過程がそこに描かれているからだ。つまり、その時点で、既に世界は乾いていたのだ。それでもぎりぎりのところで水脈を掘り当て、命がけで井戸を取り戻そうとしたのが村上であった。しかし、それが恐らく日本文学で行われた最後の井戸堀りであった。なぜなら、村上が再び地下(無意識)に潜ろうと企てた時、掘り当てたのは、「メランコリーの水脈」ではなく「サリン事件」だったからだ。

それでは、その後、90年代を通して僕らはどこへたどり着いたのか?

ここで、三浦と同じサントリーの学芸賞(飲料を作るメーカーが主催している賞であることが象徴的だ)を受賞した東浩紀によって提出された概念を比較してみることが非常に重要になるだろう。東は、ジャック・デリダという「砂漠の思考」を展開した哲学者の思想を引き継ぎ、まさに90年代という時代をクリティカル(決定的で批評的)な場所にするべく日本に「郵便空間」を切り拓いた人物である。東は、日本が砂漠化する中で、まさにその危機を敏感に感じ取り「砂漠の思考」をもたらしたのだ。また『存在論的、郵便的』の連載が始まった94年とは、日本にインターネットが上陸したのと同じ年であることを指摘しておくことも重要であろう。90年代の半ば、日本において東の郵便空間とインターネット空間が開け、東の存在論とインターネットの思考が始まったのである。
そして、東は後に『ゲーム的リアリズムの誕生』という文芸批評に的をしぼった本を出す。そこで東は、大塚英志の概念である『自然主義文学』を援用しつつ、自然主義文学という既に一度現実からねじれた文学の、(アニメ・ゲームからの逆輸入という形で再輸入された)さらにねじれた文学として『人工環境』における文学という概念を提出した。これは何を意味するか。つまり三浦の論じた「メランコリーの水脈」をうけついだ作品は、自然主義文学の範疇であり、一方、この砂漠で生まれた「乾生植物」のような文学こそ、人工環境で育った文学だといえるのではないか。すなわち「砂漠の思考」によって砂漠に花開いた文学こそがライトノベルだったのだ。そして、その分水嶺は、ゼロ年代の前夜である90年代にあったはずだ。まさに、90年代において、碇シンジは、砂漠化していく世界と人間関係の中で理不尽な戦いに巻き込まれ「聞いてないよ!」と叫んでいなかったか。
同時代的には、バブルが崩壊し、サリン事件があり、阪神大震災があり、サッカーの日本代表もワールドカップの切符を直前で逃し、女子高生がガンガン援助交際をやり、会田誠が「NO FUTURE」展を行い、官僚が「NO PANTS」しゃぶしゃぶに行ってることが明らかになり、『完全自殺マニュアル』が出版され、同時代的にいじめを苦にして多くの若者も自殺していく。平山郁夫の絵画と動物化したオタクとヤンキーだけがサヴァイヴしていく…。流行語大賞も「すったもんだがありました(94)」「価格破壊(94)」「就職氷河期(94年)」「安全神話(95)」「閉塞感(96)」「不作為責任(96)」「透明な存在(97)」などが挙げられているが、まさに90年代は、砂漠化に対して「聞いてないよ!」という叫びが響き渡ったのだった。ある者は、その後より一層激しく悲鳴を上げ続け(ミスチル)、ある者はそこで絶頂を迎え燃えつき(小室哲哉)、ある者はそれから沈黙しはじめた(小沢健二)。

■ゼロ年代という砂漠へようこそ

では、90年代から現在において砂漠化した日本の文化はどうなっているのだろう?本章では、具体的に、砂漠の中に存在する文化について考察してみたい。
美術評論家の松井みどりは『アート:”芸術”が終わった後の”アート”』の中でこのように述べている。

90年代の作家は、モダニズムの形態論や批判理論にしたがって自分の作品の方向性を決めるのではなく、無意識や未熟な感情すらもその重要な一部と認めながら、「自分」を世界との関係のなかで確認し直し、過去の作品を、現代の視点で見直すことで、独自のスタイルを形成していく傾向があります。(『アート:”芸術”が終わった後の”アート”』)

また、オタキングこと岡田斗司夫は『オタクはすでに死んでいる』の中で、オタク第三世代をこのように書いている。

第三世代にはクリエイター志向が少なく、同じくオタク文化を批評する感性をあまり理解できません。
第三世代のオタク同士で共有できる思想はない。そこにあるのは「萌え」という感覚だけです。これは感覚だから、言葉は共通していても、共有はできません。
第三世代の特徴は、貴族主義、エリート主義と対比して、私は「自分の気持ち至上主義」と名づけています。一番大切なのは自分が萌えるかどうか。だから、オタクとしての必須教養なんか知らないよ、という主義です。(『オタクはすでに死んでいる』)

これらの発言は、強引に言いかえれば、ハイアートの連中もオタクの連中も、今の若者は、他者の欲望に無関心で、「象徴的なもの」と戦う力のない「箱庭療法くん」ばっかじゃん、ということになるだろう。浅田彰の「ひよわなテクノナルシス」、東浩紀の「動物化」、大澤真幸の「第三者の審級の不在」、北田暁大の「メタからベタへ」、宮台真司の「田吾作」、仲正昌樹の「ワンくん」などの用語も同じことを意味しているだろう。
現在は、同時代の空気を読む「リテラシー」はあるものの、過去を批判的に読み解いていく「リテラシー」をもたない動物達がいて、共通の足場を失っているという状況なのだ。要は「空気が読めない」のが問題なのではなくて、他に読むべきものはたくさんあるのにも関わらず「空気しか読めない」のが問題なのだ。そもそも、文化という枠組み自体が後退してしまい、松井みどりのいう「マイクロポップ」という概念が示しているように、微細な身体感覚、欲望ではなく欲求の次元だけが”ポップ”になったのである。そう、マイクロポップとは動物のポップアートなのである。ならば90年代を経て到達したゼロ年代の「砂漠の文化=マイクロポップ文化」は、具体的にはどのような「顔」をしているのか?

■佐藤友哉と1000のニコニコ動画コメント

ここでは、佐藤友哉というゼロ年代の作家を巡る三浦の批評文をきっかけに考察してみる。三浦は、『村上春樹と柴田元幸 もう一つのアメリカ』という著書の中で、佐藤を村上や柴田の文学を引き継いで出てきた作家として位置づけている。しかし、本質的にそうなのだろうか?
佐藤の描いた小説『1000の小説とバックベアード』は、三島賞受賞の時、福田和也、筒井康孝、島田雅彦氏らにことごとく「貧しい」「危なっかしい」「安っぽい」と散々な評価を受けている(『新潮』2007年7月号)のだが、この佐藤氏の小説の重みを欠いた「陳腐さ」の本質とは何なのか?おそらく、それは、佐藤個人の資質にだけ問題があるのではないだろう。それは、一方で、時代の症候でもあるからだ。
例えば、佐藤の小説の陳腐さとは、CGのキャラクターを見た時の陳腐さとどこか似ていないだろうか。それは、精神科医の斉藤環によるCG批判の文章で示された視点から佐藤の小説を照らしてみると分かるだろう。以下に引用するのはCGについて批評した文章だが、ゼロ年代文化一般に当ててみると妙にリアリティのある批評としても読めるはずだ。

1、CGには、アウラも無意識も織り込まれていない。
2、CGには「プンクトゥム」が存在しない。
3、CGには「主体の痕跡」もない。CGとは、つまるところ徹底した確定記述の集積にほかならず、その徹底性ゆえに記述しえない「固有性」の欠如が、最も直接的に伝えられてしまう。(『メディアは存在しない』)

そう、佐藤の『1000の小説とバックベーアド』の文章には、アウラも無意識もやどらず、ただ、「軽くて痛い自意識」が表層できらめいているだけではないか。遅れてやってきた青年に遅れてやってきた青年に遅れてやってきた青年…である佐藤にとっては、もはや遅れてやってきたこと自体に、主体の痕跡を残すことが出来ないのだ。『1000の小説とバックベアード』のクライマックスに描かれた玉川上水は、村上春樹が到達した地下水とは、遠く離れている。そこに描かれた水面はCGによって合成された水面、あるいはニコニコ動画の画面上で無数にきらめく表層上のコメントのように見える。つまり、今、ゼロ年代の文化とは、映画マトリクスの世界のように、表層的には、世界は「グッドフィールソサイエティ」に見えるのだが、現実的には、砂漠に暮らしているようなものである。もちろん、その乾ききった現実を「美しい」と思える動物的感性も、砂漠の中で植物を生み出すことが出来るのも、ゼロ世代の特権ではあるのだが。何故なら砂漠化した現代において、唯一豊かな「果実=文化」をもたらしたのは、砂漠の文学であるライトノベルやゲームやアニメだけだったからだ。

■砂漠の民 それぞれの生態

前章では、具体的に日本がいかにして砂漠化したのかということと、そこで描かれる文化の根底には、すでに「水脈」が流れていないということを佐藤友哉の小説を題材にして論じた。ここでは、実際、そのような文学(物語)を消費して暮らす僕らは、どのような状況にあるのか、ということを考察してみたい。
砂漠に暮らす僕らは、物理的には非常に近くに住んでいるかもしれないが、心理的には、小さな集落を作って、別々の場所で生活を営んでいる。お互いの集落との距離は非常に遠いように思われる。例えば、オタク、スイーツは、同じような構造をした生活を営んでいるかもしれないが、心理的には非常に遠い場所にいる。砂漠の中でお互いのつながりを失っているのだ。ただ、それでも一つだけ共通している感覚がある。それは誰しもが「聞いてないよ!」という叫びを過去に一度は叫んでいるということである。いかにして集落ができるのか、というのはおそらく「聞いてない!」と思った後にどのような行動をとるのか、どのように心理的に処理をするのかによって変わってくるものではないだろうか。そこで、ここでは、「聞いてない!」という叫び(命題)と各集落がどのように向き合っているのかという観点から、集落の特性を分析する。実際に現代の集落には、以下のような集落があるのではないだろうか。

・「誰か」を具体的にベタに想定して「聞いてないよ!」と叫び続ける人たち(ニート・フリーター論壇)
・「聞いていない!」といいながらも、「でも、そんなの関係ねぇ!」と切れる人たち(ヤンキー)
・聞こえてくる場所を探す、でも探すことによって逆説的に本質的なことは聞こうとしない人たち(自分探し)
・聞いてないということを、あえて聞いていたとみなして進む人たち(決断主義)

大雑把だが、だいたい以上のような集落に分けられるだろう。ここで重要なのは、今まで、誰も「聞いていない」という事実に対して正解を出した人がいないということである。だから、ここでも、もちろん正解は提示されない。よって各トライブに上下の関係は存在しない。しかし、僕らには少なくとも(たとえ間違っていたとしても)、何らかの形で「聞いていない」という事実と向き合うことからは避けられない。自分探しをするにせよ、決断主義を取るにせよ、生き延びるための「砂漠の思考」を目指す必要はあるのではないか。

■動物もいつかは死ぬだろう。そして生き延びるだろう(?)

本章では、砂漠化してしまった環境で、それぞれ隔たった集落で暮らしている僕らには、どのような未来がありうるのかが考察される。「オタクは既に死んでいる」とも言われる現在、日本発のサブカルチャーはゆっくりと衰退していくように思われる。次はヤンキー文化が来るのか?いずれにせよ、サブカルチャーの変化は激しく寿命は短い。新しいものに過度な期待を寄せるのは危険だろう。では、その絶望的な未来をどのように考えれば良いか?
突然だが、岩波文庫に『ダフネスとクロエー』というローマ時代に書かれたギリシャ文学があるのだが、その解説にこんなことが書かれている。

紀元前後から五世紀頃にかけて、地中海世界の各地では、有名無名の作家によって、通俗的な大衆読物が多く作られた。ギリシアはローマに覇権を譲って既に久しく、政治的には無力であったが、永い文化的伝統を背負ったギリシア語は、なお世界共通語としての地位を堅持していた。ひととおりの教養を身に付けた者は、ギリシア語を解していたから、これらの読物もギリシア語で書かれたものが多かった。もともと通俗的な読物として作られるものであるから、作者は読者の興味を誘うために、あらゆる工夫をこらす。血湧き肉踊る冒険談もあれば、身の毛もよだつような怪奇談もある。また奇想天外というべき空想ないし幻想的物語もあるが、なんといっても(中略)恋愛を扱ったものが最も多くなるのは自然の成行きである。(『ダフネスとクロエー』)

ここに書かれた文章の「ギリシア文学」を「ライトノベルやアニメ」として、「教養」を「オタク的コードを理解するリテラシー」という風に、また、「ローマ」を「中国」と読みかえてみるとどうだろう?まさに、古代における状況が、極東において反復される可能性が示されているといえないだろうか? ある人々は、日本のサブカルチャーがまだまだ世界ではホットな話題であるという幻想を持っているかもしれないが、それもいつかは廃れるだろう。しかし、一方で、そこでかつて花開いた文化は、どこか他所へと伝播しても行くだろう。自分達が望む形ではないかもしれないが、上手くいけば何らかの形で生き残ることもあるのではないか(そもそも、文化とはそういうものだ)。ならば、既に死んでいると言われるオタクは、死後、いっそのこと石油(アーカイブ)となることを目指せば良いのではないか?世界という砂漠に埋没するだろう日本のサブカルチャーは、一見廃れていくようにも見えるが、一方で、それはそもそも砂漠の申し子であり、砂漠という環境に強くもある。ならば日本のサブカルチャーは、後の世代の想像力を駆動させる化石燃料として再び想像力のエネルギー資源として使用される日がくるかもしれない。そのためには、例えばMADアニメを作って、萌えているだけではなく、志をもってMADの文法を整理し、文化の形態そのもの、いわば文化の構造を(誰でも参加できるようなフリーで、オープンなソフトを作る発想で)、アーカイブ化していく姿勢が必要だ。そのために文脈を後の人たちが引用しやすいように整理する仕事をする批評家を育てていったりすることも必要になるだろう。
もちろん、未来においても、「砂漠」で戦争(著作権の問題など)もあるかもしれない。しかし、一方で、石油資源がある場所として再評価されるかもしれない。そんな未来があるのではないか。

■「聞いてないよ!」再び エピローグ

ここまで、砂漠化とその後について考えてきた。しかし、一つだけあえて隠してきたことがある。それは、これを書いてきた僕自身がまさに「聞いてないよ!」という叫びに対して決着がつかないまま、ずるずると20代を終えようとしていることだ。ロックバンドの「くるり」は2000年初頭に「召喚するか?ドアを開けるか?回復するか?全滅するか?」と歌い(これは、村上隆のアート展示の表題にもなった)若者達に選択を強いた。しかし、僕は結局、この10年を通して何の選択肢も選べなかったのだ。よって僕は佐藤友哉の陳腐さを決して笑えない。というよりも、佐藤を批評している自分はより陳腐で痛い存在だ。前に「聞いてない!」という状況をいかに受け入れるか、いかに対処し振舞うのか、によって住むべき集落が分かれると書いたが、一つだけ書いていない集落があった。それは

・聞いていないとはそもそも何故なのか考える人たち

である。つまり、執拗に、「何故、自分は聞かされてなかったのか?」をめぐって逡巡する人々である。多くの人は、聞いていないことであっても、しぶしぶその現実を受け入れ、それなりに生きていくものだろうが(それが成熟だ)、しかし、どうしても、聞いていないことにこだわって動けなくなってしまう人々の集団もある。その一人がこの僕だ。そして、この論文も、言ってしまえば、現実を受け入れるのを遅延させるためにとられた一つの試みであった。 しかし、最初に「何故?」と問うことを禁じた僕は、そもそも、この論文を書こうと意図した時点で、ルール違反を犯してしまったことになる。よって、この論文はここで強制修了されなければならない。
ところで、本論では「砂漠desert」という言葉を、つながっていたものが引き離される、という意味で使ってきたが、実はもう一つ意味がある。それはdeserveの名詞形としてのdesertだ。つまり「報いを受けること」という意味だ。そう、僕はこの論文を書いてしまったことの報いを受ける必要があるのだ。
さて、これから、僕はこの論文を書き終え、目の前に用意された熱湯に足を入れる覚悟(大人になる覚悟)をしているのだが、その時、皆は笑ってくれるだろうか。

ゼロアカ道場 第三回課題(書評)   志西はる奈(美術評論家)
大変申し訳ないのですが、この書評は少し奇妙で読みづらい形(文体・文脈・経緯)で書かれています。私としても、頑張ってみたのですが、結果的にこういう形にならざるを得ませんでした。すみません。そもそも、はじめは断るつもりでいた書評の執筆依頼を受けたのには、ある事情があったからなのです。最初からこんな言い訳みたいなことを宣言しつつ、ごまかしごまかし書いていることで、読者の中には、あるいは嫌悪感を抱く方もいらっしゃるかもしれません。まるで、下手なカズオイシグロの小説みたいに無駄に思わせぶりである、と。その点については、本当に申し訳ないと思っております。
私としても、何故このようなことになってしまったのか、そもそも何故この仕事を引き受けたのか、考えてみても良い言葉が思いつかず、上手く答えられません。しかし、このような特殊な事態の中では、最初にこのように言い訳をしつつ、しかし、一方で、それでもなんとか最後まで書くことが正しいようにも思われます。何故なら、この私のとまどい自体が彼の本の特徴を浮き彫りにし、社会的な文脈に接続し、もう一つありえた解釈の可能性を引き出すきっかけになると思われるからです。彼と同世代であるの私の躊躇、逡巡、ためらいの言葉こそが、この本が暗に訴えていることを意外な角度から照らし出し、輪郭づけてくれるように思うのです。もちろん、そんなの意味ないよ、と言われたらそこまでなんですが…もう少しお付き合いいただけると幸いです。
話を分かりやすくするために、少し違う例えを導入してみましょう。要するに、この書評は、著者に宛てた個人的なメッセージでもあるのです。個人的なメッセージ…?びっくりされたでしょうか。本当は、私の方がびっくりしたと言いたいくらいなんです。なぜなら、彼の評論自体が、暗に私に宛てた個人的メッセージになっていたからなんです。私は、それに対して答える責任があるわけです。出来ればこんな本の書評なんて書きたくなかった。出来ればそっとしておいて欲しかった。しかし、それが、わたしに宛てられたメッセージならば、答えないわけにはいかないのです。さきほど、責任と言いましたが、そもそも、ここで書評を書かなかったら私は彼に負けてしまうのです。そして、書評を書くことは、同時に彼をゆるすことになるのです。そういう意味も含め、この本の書評については、それを書く背景自体も書評になっているのです。
そうなのです。率直に言ってしまえば、ある意味ではこれは著作と書評の関係を超えた個人的な手紙のやりとりでもあるのです。よって、この本の書評を書くためには、批評的な思考のみならず、私たちの個人的な記憶について述べなければなりません。そう、カズオイシグロの『私を離さないで』の主人公キャシー・Hのように。
読者の中には、もしかすると書評に私的なことを持ち込むことに対して違和感をお持ちになる方もいらっしゃるかもしれません。批評は批評、手紙は手紙、きっちり分けるべきだ、と。しかし、そもそも、本当に批評と個人的なことを分けることが出来るのでしょうか?そこにきっちりとした線は引けないのではないか、と私は考えます。それは程度問題なのです。批評家を名乗って十年以上たつ私にとって、批評するという行為は個人的な体験を巧妙に覆い隠しながら個別のことを普遍的に語ろうとする、倒錯した、ねじれた行為に思えるのです。それは批評家としての経験に基づいた意見です。批評とは、強烈な個人的な経験に基づいたプライヴェートなメッセージを、あえて抑制された言葉で書く、ある意味では変態的、変質的行為なのではないでしょうか。つまり批評とは、個人的な経験をクールに突き放すことに、粘着的にこだわる、そういう捻くれた行為なのです。悪く言えば、自分の弱さをごまかし、メタレベルの世界へと逃避する行為、それが批評です。それは、恐らく世の批評家が、時として作家よりも「個性的」で「魅力的」に見えることを説明することにもなるでしょう。なぜなら、彼らは、ときとして作家よりも自意識過剰でロマンティストだからです。感情的に過剰に不合理なものを抱えている批評家ほど、合理的な文章を書きたくなる。それが批評家という捻くれた生き物の性質なのです。深い業を抱えた人が作家になるのだとしたら、深すぎる業を抱えきれない人が批評家になるといえるのではないでしょうか。恐らく、偉大な哲学者たちもそうでしょう。「私が私である理由は何だろう?」「なぜあなたはそんなに美しいのだろう?」という個人的な体験を普遍的に語ろうとする結果、批評の言葉が生じるのです。やずやが本書でも述べているように、ある種の個人的な危機的(クリティカル)状況があるからこそ、批評的(クリティカル)行為が成り立つのです。危機がない所に批評は成り立ちません。批評とは、いつも危機に瀕しているのです。
例えば、これはまったくの憶測ですが、東浩紀さんがかつて『存在論的、郵便的』の中で、高度に抽象的、思弁的な言語を繰り広げられましたが、もしかすると、当時、東さんは恋をしていらっしゃったのではないでしょうか。「手紙」という言葉に込められたある種のエロティックなまでのこだわりは、ロゴスというよりも、ある種のパトス、情念となっていたように思えるのです。東さんは、恋をしていたのかもしれない。あるいは、恋を失っていたのかもしれない。届かない思いをなんとか相手に伝える方法を死ぬ気で探していた。そして、論考の後半で、フロイトを経由する形で無意識の次元までたどり着く…私はそんなことを想像します。恋でもしていなければ、あそこまでの集中力は出せないでしょう。届かない手紙にこだわる男性というのは、恋をしているはずなのです。こんなことを言ったら東さんに怒られるでしょうか。
…と、ここまで書いた時点で、もう、お気づきの方もいらっしゃると思いますので言いますが、実は、私とやずやは、かつて(90年代を通して)つきあっていたのです。つまり、彼(と私の間)の危機的状況が、この批評的な言葉を生んだのです。

私とやずやが出会った時、すなわち既に10年以上前の話になりますが、まだ彼は大学生でした。私はちょうど大学を出た時で、当時は、メディアアートという新しいアートのジャンルの批評家として(というと聞こえは良いのですが、要は駆け出しのライターみたいなものとして)仕事をするようになり始めた頃でした。(最初の仕事として束芋というアーティストにインタビューを行ったのを良く覚えています。)その頃は、メディアアートというものが新しいアートの形態として注目され、いろいろな可能性が語られていたんですね。今振り返ってみれば、いろいろとバブリーだったな、と反省されるんですが…。当時はオーストリアのリンツや、東京の初台に、その手のアートの本拠地が出来、雑誌の『Inter Communication』が刊行され(つい先日休刊するという話を知ったのですが…)NHKで『デジスタ』といった番組が登場したりで、熱気に満ちていたんですね。美術大学には、メディア・アートを専門にやる学科や情報デザインを教える学科が次々と新設され、ウゴウゴルーガを作った岩井俊雄が東大の教授になったりして、ちょっと注目された訳です。広告の世界からも、佐藤雅彦が現れメディアクリエーターとして脚光を浴びたりしていました。水越伸のようなメディア学者が有名になったり、慶應SFCの学生が、アルスエレクトニカというメディアアートの祭典にこぞって作品を応募し始めたりした時代です。
とにかく、私と彼はそういうニュアンスの90年代を恋人として過ごしたのです。私たちは90年代の半ばに出会い、2000年になってすぐに別れたんです。忘れもしません、2人で発売されたばかりのくるりの『図鑑』を買い、いまや懐かしい「シカゴ音響派」のジムオルークの『ユリイカ』やジョンマッケンタイアのアルバムを吉祥寺のタワーレコード(「ワルシャワ」だったかもしれません)で買った後、その日に別れたのですから。それが2000年になってすぐのことでした。
この文章を書評として成り立たせるための意味でも指摘しておきたい点は、やずやの本の中には、そういうニュアンスの90年代の記憶の痕跡が、巧妙に、周到に消されている、ということです。その意味で、この本は、非常にアンフェアで、ずるい本だと思います。一方で、それは、半分私にも原因がある。つまり、私のことを過剰に意識していたからこその抑圧だったんじゃないか、と思えたので、私はその消された記憶を補完する意味もこめて(最初はお断りした)執筆依頼を受けたわけです。(だから本当は私も辛いんです。)とにかく、この本に散りばめられた90年代的な記号と、そこに反映された彼の個人的な記憶の穴、いわば彼の記憶の陰画を見れば、彼が何を隠しているのかはすぐに分かります。
例えば、彼が、他にも巧妙に隠していることとして「女性の存在」があります。やずやは、女性については(岡崎京子と松井みどりについてちょっと触れている以外は)全く触れていませんね。これは不自然じゃないでしょうか。しかし、私にはその理由が分かります。何故なら女性のアートや文学、文化は全て私経由で彼は経験しているからです。そして、考えてみれば、女性の生み出した文化は、彼の提出した「砂漠化」のメタファーでは捉えられません。90年代も、現代も、多くの女性作家が瑞々しい美しい作品を残しているのですが、それを彼の「砂漠」の概念では切り取ることが出来ません。そこに、この本の最も「触れて欲しくない」部分があるように思えます。理論的にもカヴァーできていないし、記憶としても触れて欲しくない、という2重の傷(トラウマ)が本書にはあるのです。女性というトラウマですね。よって、当然、本書がいかに客観性を強調しようとしても、未熟で個人的な90年代論になってしまっています。まぁ、擁護するつもりはないんですが、彼の言葉が未熟で安っぽいからこそ、泣ける90年代論、リアルな90年代論にもなっているのかもしれません。ともかく、正直、私は微妙な気持ちになりました。よく、男性は、昔の恋の思い出は、「名前をつけて保存」するのに対し、女性は「上書き保存」してしまう、と言います。要は男は昔の恋を忘れられないんですね。恐らく、彼は、私とのことを「名前をつけて保存」しつつ、隠しファイルとして、ここには書き込まなかったわけです。しかし、だからこそ、それが強烈にネガとして浮き彫りにもなる、という仕組みになっている。本来なら、やずやは、「オリーブ少女」的なものの文脈や、ヴィレッジヴァンガードにあるような女の子用のサブカル(魚喃キリコや、南Q太、やまだないと的なもの)にも、どっぷり浸かっていたわけです。彼は、ほとんど学校に行かず、下北沢のONSAカフェや、チクテカフェでまったりと過ごし、コーネリアスが通ったというディスクユニオン、あるいはトリウッドやスズナリ劇場、J-CREW前のような場所で、「仲俣暁生的」な青春をおくっていたわけです。『広告批評』、『relax』、『ブルータス』、『studio voice』なんかを読みながら、サニーデイサービスやベックを聴きながら、ゆるい毎日を過ごしていたわけです。ミシェルゴンドリやスパイクジョーンズのPVを見たり、『snoozer』でくるりとダフトパンクが並列に取材されていることに、「日本人バンドもやるなぁ」と誇りを持っていたりしたことを、彼は、意図的に隠している。いわば、仲俣暁生的、佐々木敦的な恥ずかしい部分を隠しているわけです。それは、恐らく、東さんと北田暁大さんの『東京から考える』、特に東さんの発言部分を読み、自分の記憶が恥ずかしくなったのでしょう。よって彼は記憶を抑圧した。そこに彼の転向と、それを隠そうとするずるさがある。そうなのです、この本を渡されたとき、彼が記憶を捏造し、隠蔽しようとしていることに対して私は胸がいたくなりました。そして彼を哀れにも思うようになりました。
そういえば、典型的な「だめんず」であった彼に嫌気がさした私は、彼を最後、一方的に、しかも突然フッたことを思いだします。彼は、『ねじまき鳥クロニクル』を砂漠化の重要な時代的切断面の事件としてこだわっているようですが、あの作品で、妻のクミコがいなくなってしまったこと自体が、彼にとってのいわば実存的問題でもあったわけです。そして、彼はそのことには直接触れようとはしない。しかし、直接触れず間接的に触れることによって、むしろ、むき出しの感情がそこにあることを示してしまっている。
私は、実際、『ねじまき鳥』のクミコと同じように、彼と別れたその次の週には、映像作家である志西と出会い、すぐに男女の関係となりました。そして、一ヵ月後には結婚までしてしまったんです。それは無意識的に彼を傷つけたかったのかもしれません。その辺の事情については、さすがにここでは書けませんが…ともかく、彼は、そのことを全て知っていました。それが彼のいう「砂漠化」だったのでしょう。(こんなことを書く私は鬼でしょうか…?)
彼は、誇らしげに、ダチョウ倶楽部の話を冒頭に持ってきています。しかし、今ごろ、このような形の本を出し、あの頃のことを間接的に蒸し返されたことにたいして、私の方こそ正直「聞いてないよ!」と叫びたい気分なんです。彼は、90年代を総括するつもりで、文学、現代アート、オタク、流行語大賞、社会学、などの言葉を借りてきています。しかし、やはり、そこには「私との90年代」をめぐって何かを訴えようとしている粘着質的な意図が感じられます。私は、「痛いし、イタイから、もうやめて」とよっぽど彼に伝えようと思いました。男はいつだって、理論が好きで、なんでも客観的に説明しようとします。「論理、論理、でも結局はロンリー」なんですけどね。彼は、この本を書いて、どこかで私に読んでもらい、青山テルマの「私は今も、あなたのこと、思い続けているよ〜」なんて台詞を言って欲しいのかもしれませんが、はっきり言って迷惑です。彼が好きだったエヴァンゲリオンのアスカの台詞を借りて「あんた、バッカじゃないの!」と言ってやりたいです。ほんと、バッカじゃないの!気持ち悪い!
でも、私はこの「捨て台詞」をもって私自身も「私の90年代」にケリをつけ、彼を忘れることによって、彼をゆるしてあげようとも思うのです。

(『群像』)