
『モテたい理由』(講談社現代新書)という本を書いた。
モテ、モテ、モテ、と昨今強迫神経症のように言われているが、「人々がなぜモテたいか?」という本では、ない。人々の多くは「モテたい」と思う前に「モテ強迫」に包囲されたからだ。私も含め。実を言えば「モテたい理由」は編集部が知恵を絞ってつけてくれたタイトルである。けれど言われてみれば、私はそういうことを書いた。これだけ人々が「モテ」を考えさせられるからには、そのことの理由と歴史的必然があるはずだ。その驚愕の真実は! 本当に驚愕なので……ここで手短には言えません。
「モテ」というのは、字義通りモテなのではない。「関係性ですべてが判断される時代」のことだ。関係性がすべてならば、それがもとから得意な女性はさらに「それだけ」になり、不得手である男性には、立場がなくなる。
これは実は、私が自分のために書いたことかもしれない。メディア情報に包囲され、たまに朝起きることもできなくなるほど消耗することのあった自分に。
事の始めは私が女性誌の読者&ウォッチャーをしてきたことだった。するとOLに「マストハブ(持たなきゃならない)!」のバッグが40万円だったりして、きょうび「すべてのコンテンツは広告ではないかと疑え」という悲しい「メディアリテラシー」を身につけさせられた身でも、あまりの突っ込みどころ満載さに、ひとこと物申したくはなるのだった。それはなんというか、行き場のない怒りに似ていた。なぜ行き場がないかと言えば、現代日本社会では、経済効果があるものに異論をとなえてはいけないことになっているからだ。でも、おかしいものはおかしい。23〜24の「OL」(通常は事務職女子の意である)に「プロジェクト・リーダー」が任されてるとか、なのに「アフター6」がしっかりあるとか。そんな「おかしさ」について、誰に宛てるともなく私は書き始めた。
おかしさとは「可笑しさ」であり「頭のおかしさ」である。
書き始めた頃、私にはわかっていなかった。「ありえねー!」と笑っていられた間はまだ幸せだったと。問題は、すべての女性誌がそんなであり、すべてのファッションやノウハウが「関係性で幸せを感じること」という女性が大好きな主題と消費にダイレクトラインでつながれ、あまつさえそれ以外の女性誌はない! ということなのだ。
それがあまりにあまねきため、かつ経済貢献しているため「関係性に参入してこない男は弱い!」とか「男はオタクに逃げた」とか女が平気で言い出す。自分の縁遠さを他人のせいにしているのだが、他ならぬ市場言語が自分たちを侵していることには女たちは気づこうとしない。ちょっとでも考えてみればいい。他人を貶めて自分の立場を保とうとする人に、貶められた他人が魅力を感じるか? 言っとくがすべての男は広義のオタクなのだ。まあ誰しも、不都合な真実は他人のせいであったほうが精神衛生上は、いいのだけど。それが本当に自分のためになるかは、よく考えよう。
そんなあるとき、その原稿を本にしようという話が持ちかけられた。それがアバウト三年前、いやもっと前かな。さらに大量の女性誌を読むことになった私は、最初こそ、趣味と実益のように思えていた。しかし女性誌を、ためしに一ヵ月でも十誌以上読んでみると、妙〜な気持ちになってくる。同じメンツと物語をみんなが使いまわしているから。いつどこへ行っても同じメンツを見、同じ話を聞くというのは、ほとんどシュールな体験である。でもそれが「仕事」になったのでがんばった。
そのうち、「おかしく」なってきた。私の頭が。
なにかやたらに自分に自信がなくなってくる。メディアの喧伝するイメージに比べ、自分はあまりに変わりすぎ、あまりに何も持たない。しかしあまりに浸されると「ありえねー」と笑うことはできなくなってくる。そんなある日起きられなくなる。鬱、鬱、鬱、そうそれは鬱病と酷似していた。鬱とはイメージに実体が殺される病である。
「ママ、わたし恋愛できなかったらどうしよう?」
ある名言が私を救ってくれていた。友達の娘が12歳のころに漏らした言葉だ。その娘は14で不登校になり、数ヵ月後学校には復帰したが人生設計を考えると泣いてしまうと言う。そんな少女の言葉にこそ、私の鬱は救われていた。落ち込んでしまう私がおかしいのではない! と、底の底では信じることができたから。
鬱に何度もなりながら、私がこの本を書いてよかったことのひとつは、男性の資質をよく知ってみようと思い、男性とよく話してみたことだ。
私はこの本の仕事をするまで、男の資質や好みについて、深く知ろうとはしてこなかった。それを知ることができたのは、私にとってとてもいいことだった。男性性と女性性はとてもちがう。ちがうからこそ、いとしいし、尊重したいと今は思う。
例を挙げてみましょうか。本に収録できなかったネタの特出しです。
* 「勝負下着」は男に対して盛り上げ効果はない。「ヤル気マンマンで来たのが見えてもね……」「『どうだ』と威張られても」「バカだなダサい下着で恥ずかしがってんのがいいんじゃんか!」「脱がしちゃえば同じ」
* 合コンへの姿勢は男女でぜんぜんちがう。女は個人戦であるが、男は団体戦である。男は目的のために役割分担して、集団が得をすることで自分も得しようとする。場のためには自分をある程度変えられる。たとえば「爆弾処理」という名の「係」がいる。女子集団のいちばん注目されない子をフォローする。これの評価は割れるだろうが、女が関心のない男にどれだけ冷酷かを思うとき、男は優しい生き物であるよと私は思う。
* 男の前で態度を変える女を、女は嫌うが男はオッケーである。それはわかっていないのではなく、わかって評価するのである。なぜなら、合コンなどで自分たちはそうして女たちを「もてなして」いるのである。そうして当然とも思われている。そういう自分たちと同じことをしてくれる異性は、男の評価に値する。
これを読んで賢い女子諸君ならわかってもらえると思うが、女性誌が女性に、「こうすればモテる」と言っていることはほとんどが、嘘である。
控えめに言って、嘘だから、楽になっていいんだ!
女性誌のヘンな感じは、「モテたい」と言いながら、目配りは圧倒的に同性の視線に行っていること、これに尽きる。それは横並びの相互監視社会を、きわめつけに強化して女性に提供している。多くの女性にとって、現実はハードルが高すぎると感じられるかもしれない。本当は、「幻想のハードル」が天井知らずに上げられているのである。それを私は件の14歳にも言ってあげたい。
もしかしたら、モテない理由に、思い当たっちゃった人がいるかもしれないね。
あなたが女性なら、モテに複雑なノウハウはない。そもそも男性が単純で、それゆえにかわいい生き物であるから。
あなたが男性なら、「関係性」はたしかに大事にすべきことだが、「世界の最優先事項ではない」という簡単な事実を忘れずにいてほしい。やり手営業マンばかりいても何もできないでしょ?
いや、男性も女性もなくって、あなたや私が、幸せを感じられますように。
そんな願いを、私は書いた。
(あかさか・まり 作家)