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  講談社 現代新書カフェ
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□        講談社 現代新書カフェ〜064〜                 
□            2010年3月8日                   
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  ‖ 《1》連載企画   
  ‖   (1)『本気で考える池田屋事件』第32回 中村武生        
   ‖              
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 現代新書カフェにようこそ。

 先日、読者の方から、メルマガの末尾に当カフェスタッフの名が13人も並ん
でいるけれども、何をしているのか不思議です、とのメールをいただきました。
メルマガは基本的には新刊紹介と連載だけですから、疑問に思われるのも当然
かと思います。従業員ばかり多い喫茶店は、あまり居心地のよいものではあり
ません。
 現在、現代新書には9人の編集部員がいます。この9人で、毎月4、5点新
書を刊行し、メルマガも発行しているのですが、他にも、新書、メルマガの原
稿などをチェックする校閲や、部内のあらゆる雑事を処理するスタッフがいま
す。さらには、異動後も、メルマガの連載を担当する元従業員(?)もいます。
 そのようなわけで、13人という大所帯になっていますが、よりよいメルマガ
を配信できるようにがんばりますので、ひきつづきよろしくお願いいたします。

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◆  《1》連載企画  ◆
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◆ 1)『本気で考える池田屋事件』第32回 ◆
◆                中村武生◆
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 前回より、長州毛利家京都留守居役、乃美織江(宣=のぶる)の手記の検討
をしている。新選組ではなく、毛利家側からみた池田屋事件を検討する上で最
重要の史料と従前認識されていた。が、内容吟味はもとより、成立年代や複数
の写本のいずれがもっとも良質なテキストであるかなどの書誌的な検討さえな
されたことがなかった。これでは池田屋事件の研究レベルが上がるはずもない。
史料として使えるものかどうかさえ明らかにできていないわけだから。
 これから細かな検討に入るつもりだったのだが、それを行うには場違いだと
いうことに気づいた。諸写本の細かな字句の異同などを論じていかねばならず、
一般向けのメルマガでは不向きなことであった。いまさらながら……。
 そこでそれはまた論文の形で別に発表するとして、とりあえずは簡単に概略
をのべて次に進みたいと思うのである。

 前回提示した旧本の写本5種のうち、山口県文書館蔵毛利家文庫の「池田屋
事変」(A)が旧本の原形にもっとも近いと思われる。根拠のひとつは、残り
の写本B・C・D・Eが誤写も含めてそれぞれ類似の表記をするのに対して、
Aのみ独立性が高いうえ、乃美自筆の異本(F)と共通表記が見いだせるから
である。
 たとえばB・C・D・Eには、みなそろって「五日朝壬生浪士則(すなはち)
新選組ト唱ヘ会津守護職ヨリ御差図ヲ」という一節があるが、Aはこの「新選
組ト唱ヘ会津守護職」部分が「真長組ト唱ヘ守護職」とあり、「新選組」が
「真長組」と誤記され、「守護職」の傍らに「会津」と注記されている。
 興味深いのはFの表記である。同様の部分を、「右ハ壬生浪士則真長組ト唱
守護職之手ナリ」と記す。Aと同じく「真長組」と誤記され、「会津」の傍書
がないのである。おそらく旧本の原本も、「真長組」と誤記され、「会津」の
傍書がなかったのであろう。それを1887年(明治20)、毛利家史編輯官中村弼が
東京浜町の毛利邸で謄写した際、すなわちAが制作される過程で「会津」の傍
書が加筆されたと思われる。
 AとFの表記が近似するのは、乃美が(現存しない)旧本の原本(おそらく
自筆)を傍らにおいてFを筆記したと考えられるからである。
 山口県文書館蔵「乃美織江覚書」(B)の成立事情はよくわからないが、お
そらくAもしくはその写本をもとにして筆写されたものであろう。その際、
「真長組」の誤記が「新選組」と書き改められ、傍書の「会津」も本文に挿入
され「会津守護職」とされた。このBがさらに複数書写され、東大や京大に収
められたC本・D本・E本がつくられたと考えたい。

 つづいて旧本の成立年代を検討する。乃美には「乃美宣在職筆記」なる記録
がある。これは2度目の京都留守居役拝命(文久3年(1863)8月1日)から、
禁門の変をへて山口に戻った翌元治2年(慶応元年=1865)1月19日までの公
務に関する記録である。
 興味深いのは、文久4年(元治元年=1864)2月11日付の乃美宛の桂小五郎
書翰を掲載したあと、「六月五日後ハ別而(べっして)京都不穏」とあり、本
文中に池田屋事件を全く記載しないことである。そのあと起きる禁門の変につ
いては記しているにもかかわらずである。そして末尾に「池田屋事件」を独立
させて付記している。
 ここからは、乃美にとって池田屋事件が、京都留守居役在職中の最重要事件
と認識されていたといえよう。
 少なくとも旧本の原本は、「乃美宣在職筆記」と同時期かそれ以前に成立し
ていたと考えるべきであろう。そうすると「乃美宣在職筆記」がいつ編纂され
たかがカギとなるのであるが、いまのところ不明である。今後の課題としてお
きたい。
 以下、池田屋事件当日の河原町長州屋敷の動向を叙述する。とくに断りのな
い場合は「乃美手記」に拠るものと理解されたい。なお使用にあたっては、A
本(良質の旧本写本)を基本とし、適宜F本(自筆異本)を援用することとし
たい。

 元治元年(1864)6月5日早朝、古高俊太郎の逮捕を、河原町長州屋敷に最
初に伝えたのは、対馬宗家の家臣多田荘蔵だったという。これを知った邸内の
浪士たちは大いに驚き、善後策を議論した。そんななか丸亀亡命志士の土肥七
助が現れ乃美に面会し、古高の屋敷において武器などが接収された、古高屋敷
に押し寄せて戦い(武器を取り戻す?)、すぐさま新選組の壬生屋敷を襲い古
高を取り返すべきだといった。そして乃美に対して長州屋敷の人数を貸しても
らえないかと希望した。
「乃美手記」には当日、どれほどの人数が在邸していたか記載はない。が、そ
の約1ヵ月前、同年5月7日に在邸した者を五組に軍事編成した書付によれば、
実に62名に及ぶ。彼らの多くは、池田屋事件後におきる禁門の変の参加者とな
る。
  そのメンバーは以下である。

                              松山忠介
               平岡久簡(筆者注:平岡鳩平カ)
                              比喜多源二

一番隊                 
  隊長        児島百之助(筆者注:寺島忠三郎)
            弘 勝之進
   壱ノ伍      有川 恒槌(つねづち)
            中村芳之助
   弐ノ伍      井上宗次郎
            原川 平六
            神代 直人
            阿武兵治郎
            伊藤  湊
   三ノ伍      有吉熊二郎
            和田 文景
            井上 唯市
            河村 太作
            品川弥二郎
三番隊
  隊長        正木太三郎
            大田市之進
   壱ノ伍      大楽源太郎
            寺島秀之助
            松田 良蔵
            滝 鴻次郎
            渡辺与八郎
            今津宇三郎
            本多政之助
            中川 文吾
            町田 岩熊
            田村 育蔵
   弐ノ伍      三分利徳三郎
            堀 弥四郎
            内田 五郎
            井町 武蔵
            田村甚之丞
            山田市之允
   三ノ伍      臼井留之助
            岸 十之允
            佐々木五右エ門
            井上 佐市
            藤井源五郎
弐番隊
  隊長        河島小太郎(筆者注:入江九一)
            佐々木次郎四郎
   壱ノ伍      杉山 松輔
            石田 太郎
            三刀屋七之助
   弐ノ伍      松本 猩蔵
            藤井幾之進
            上利千十郎
            池田 良蔵
            田中常三郎
            大谷 樸助
            世良久二郎
   三ノ伍      所 郁太郎
            岡沢友之進
            竹中熊二郎
            石川 忠平
            時山 直八
   四ノ伍      川北義次郎
            天野 勘介
            志道貫一郎
            熊谷九十郎
            高杉百合二郎
   以上
  五月七日

(「甲子戦乱前ニ於ケル長洲河原町屋敷内有志五組覚書5月11日」京都大学附
属図書館蔵「尊攘堂書翰屏風」。維新資料画像データベースに拠る)

 ここに列記されていないが、ほかに宮部鼎蔵・春蔵兄弟や、浮田八郎、淵上
郁太郎、吉田稔麿(としまろ)らの在邸もほぼ確実であるし、留守居役乃美織
江や原善兵衛、阿武(あんの)九郎兵衛、吉岡庄助、木村甚五郎ら屋敷の正規
の職員も含めれば(「乃美宣在職筆記」)、100名ちかくになったのではない
か。
 これらの多くが、新選組屋敷襲撃に動員されたらどのようなことになるか、
容易に想像できる。土肥の申し出はあまりに無謀であった。当然、乃美は応じ
ず、在邸の浪士たちには軽挙は慎むように述べる。が、浪士からはいま一度考
え直して欲しい(「御熟考有之段とも相咄」)と希望された。
 そこで潜伏人のうち何人かを呼び寄せて、邸内の会所(自筆異本は「会議
所」)で談判したところ、吉田稔麿と宮部鼎蔵ほか2〜3名がすぐさま引取り、
その日の「小戦」は差止めとなった。(つづく)

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│中村武生:歴史地理史学者。1967年生まれ、大阪府出身。佛教大学大学院│
│文学研究科博士課程前期(日本史学)修了。京都女子大学、天理大学の非│
│常勤講師や、京都新聞文化センター、京都おこしやす大学、NHK文化セ│
│ンター、よみうり文化センター、中日文化センターなどの講師をつとめ │
│る。NPO法人京都歴史地理同考会理事長。著書に『御土居堀ものがた │
│り』、『中村武生の京都検定日めくりドリル500問』(以上、京都新聞出 │
│版センター)、『京都の江戸時代をあるく――秀吉の城から龍馬の寺田屋│
│伝説まで』(文理閣)。                       │    
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次回は3月18日、配信予定です。
ご意見、ご感想などはingen@kodansha.co.jpまでお願いいたします。

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